2008年8月18日 (月)

シドニー!/村上春樹 ~ちっとも楽しそうじゃないけど得るものはある~

元来この作者はスポーツ好きである。

というより、ある特定のスポーツにまつわる風景が好き、といったほうがよいかもしれない。(彼が小説を書くことを決意したのは神宮球場のヤクルトの試合中なのは有名は話しだ。)

とはいえ、彼のスポーツにまつわるエッセイというのは意外と少なく、前述の「走ることについて語るときに僕の語ること」とこの書くらいか。

Numberというスポーツノンフィクションの世界では雄ともいえる雑誌にて企画されたこの連載にて、作者は徹頭徹尾、オリンピックというものに懐疑的である。その成り立ち、(好むと好まずにかかわらず持ってしまった)意味、意義。それらを学習はするけれども深入りしようとしない。見るのはオーストラリアと、オーストラリア人と、そこに集う数多くの人々、そして与えられた、勝ち取った場で、すべてを出し尽くす競技者たち。

そして彼の懐疑的な視線を超えて、現れてくる(スポーツだけが持つ)美しい瞬間。

まぁなんだかんだいって、アスリートたちが競う瞬間はかけがえなく美しいし、どんなフィクションもたちうちできない時空間を形成する。スポーツに関する書ってそれに尽きてしまうところはあるのだけれど、そこにたどりつくまでにはその数十倍の凡夫な光景を見てすごさねばならない。(シドニーのビーチバレーとかね。)

日記形式のこの書は、その感情を同時進行系で味わえるのがよいかな。

と思いながらあまり面白くもない北京の高飛び込み競技を見ています。

(バンコクではなぜ飛び込みばかり中継するのか不明。)

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シドニー!

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2008年8月15日 (金)

走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹 ~走ることについて~

走る人。

走らない人。

この本に関しては、読者によりその受け止め方が大きく異なるであろう。

走る人、は「走る」ことについての作者の真摯な取り組みと深い考察に共感し、

走らない人、は「語る」ことについての作者の(珍しくも)飾らない言葉の意味を追い求める。

ちなみに僕は「走る」人。(初心者ではあるけどね。)

走ることを知ると、ここで作者が語っている言葉は、幾多のメタファーを交えようと(村上エッセイのチャーミングな魅力!)、ダイレクトに心と体に届いてくる。

走らない人にとっても十分魅力的なエッセイだとは思うが、このダイレクトさはやはり読者を選ぶのではないだろうか。

そのことに作者は気づいていたであろう。ただし数十年走り、語りつづけてきた彼は、どこかで「走る」ことについて、「走る自分」について「語り」たかった。

わずか数ヶ月間走っているだけの僕の想像も、あながち間違いではないと思う。

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走ることについて語るときに僕の語ること

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2008年6月23日 (月)

アメリカ素描/司馬遼太郎 ~文化と文明~

食わず嫌いという言葉がある。

普通は食べ物に使う。しかしまれに作家に対して使うことがある。

私にとっての司馬遼太郎がそうであった。あまりにも有名ゆえ、あまりにも国民的作家ゆえ、あまりにも大家ゆえ。

そしてあまりにも年上のおっさんが勧めるがゆえ。

しかしはじめて読んでみた。それなりに面白かった。私も年をとったのだろうか。

司馬史観なる言葉があるらしい。日本の歴史の見方として、確立した世界を描きそれが一般に広く受け入れられているのは何ゆえか。

本書は作者がアメリカを初訪問したときのエッセイである。もともと海外紀行が得意ではない(欧米が得意ではない)作者の文章ゆえか、よく言えば肩肘はらない、ある意味力の抜いた文章でアメリカの日常の世界が描かれている。

エッセイとしてはそれは悪いことではなく、旅行者よりは踏み込み、生活者よりはひいた視点でこそできない描き方があるものである。またアメリカを移民国家として常に意識し、アメリカ人の民族的ルーツや宗教的背景からアメリカの20世紀を語っており、歴史家としての作者ならではの強みをあらわしている。

興味深い、ただし面白くはない。それがまだ私の作者への距離感。ただしもう少し彼の書物を読み進めてみようとは思う。

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アメリカ素描

2008年6月10日 (火)

生物と無生物のあいだ/福岡伸一 ~科学の表現とそれ以外の表現~

美しい読物です。

生物という美しい事象を扱いながら、科学の厳密性ゆえにあまりにも即物的な形態をとる書物(いわゆる教科書ですね)が多い中、この作者は科学的な厳密性を下敷きにしつつも、生物学の歴史(特にいままで現代的ゆえに多く語られることのなかった分子生物学史)を縦軸に通し、ふんだんな周辺の事象(NY・ボストン都市考察等)を横糸に散りばめ、学問の最先端を紹介しながらページは進んでいく。

読者は生物学の知識が極めて乏しくとも(0とは言わない)、作者の豊富な隠喩や教科書的解説により、決して科学的真実からは離れないよう距離感を定められている。

しかしながら、この本の魅力をなすのはあくまでも作者の文学的資質であるのではないか。

上記の美しい科学を、決して平易ではない言葉を用いながら、わかりやすく、なおかつ美しく表現できる作家を私は他に思いつかない。

分子生物学の名著はドーキンスの「利己的な遺伝子」をはじめ多々ある。

ただそれらの著書は、正直一般的な視点から見ると、結論にいたる道程が長すぎる。言いかえれば難しく語りすぎている。(科学的な厳密性を追及すればそうなるのはわかります。)かといって竹内久美子(「そんなバカな!」)までいくと単なるエピソード集で終わってしまう。

この本はドーキンスのその前後を知りたく、竹内久美子に満足できない、分子生物学(あるいは遺伝学)に興味をお持ちの方にお勧めです。(もちろん、普通のノンフィクション好きの方にもお勧めです。)

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生物と無生物のあいだ

2008年6月 8日 (日)

やがて哀しき外国語/村上春樹 ~異国に住むとよくわかる~

異国に暮らすこと。

外国語を学ぶこと。

いずれも日本にいれば憧れること。でも実際異国ではストレスの連続。作者はそんなカルチャーギャップを軽妙に描いていく。

日本、アメリカ。その両国のどちら側にも立つことない、その絶妙なバランス感覚が面白い。遠い太鼓でもそうだけど、旅行だけでなく住むことで見えてくることって必ずある。

年をとると外国語を学ぶのがおっくうになる、というくだり。

異国に住むとほんとその通り。30%言葉がわかったら50%の意思は通じます。50%通じたらもう十分。同じ言葉でも70%しか通じてないと思うしね。結構うなずけます。

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やがて哀しき外国語

2008年6月 1日 (日)

フェルマーの最終定理/サイモン・シン ~ファンタスティックドキュメント~

タイトルだけなら小難しい。

誰もが一度は聞いたことがある(かもしれない)この言葉。

「いったい何?」

それは数学界に残された最後の超難関。

それは数多くの数学者たちを魅了し虜にし、人生をかけた天才たちの挑戦を何度となく退けてきた最終定理。

手にとるときは少々迷う。「数学?わからない?難しい?」

心配無用。その意味は知らなくても理解できなくても、十分に楽しめるこの作品。

サイモン・シンという稀有な書き手の瑞々しい文章が、一つの難関に挑んでいく天才たちのドラマと、その向こうに横たわる数学の歴史を、史実に基づきながら、数学の厳密性を可能な限り損なわない程度にファンタスティックに書き込んでいく。

私が知っていたのはこのタイトルの言葉とそれを最終的に証明したワイルズという数学者の名前のみ。しかし彼の前に横たわってきた、数多くの先達の偉大な考証の積み重ねの上にワイルズは立っていたのだ。オイラー、クンマー、ジェルマン、谷山、志村・・・

名前すら知らなかった彼らの生、数論という純粋な世界、歴史のつながる果てに完成するドラマ。

ワイルズが証明を完成させる瞬間。シンは類まれな描写力で書ききっていく。それはこどものときの夢をかなえるという当たり前のドラマが、歴史を変えた瞬間だった。

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2007年3月 1日 (木)

虚妄の成果主義/高橋伸夫 ~未来の重さ~

シンプルである。なぜ年功制がよいのか、なぜ成果主義は失敗するのか。筆者は自らの研究事例を題材にしながら、シンプルな論理でまとめあげていく。

この議論は軸足をどこに置くかで見える風景が変わってくる。年功制と成果主義。互いに相容れないこの二項。主軸とすべきは経営の問題か、労働の問題か。あるいはモチベーションの問題か、ライフプランの問題か。人事の問題か、組合の問題か。ジャパネスクとグローバリズムの問題か。

確かにここ数年成果主義の問題が出尽くした感がある。しかし年功制もシステムとして一度否定された時代があった。ところが筆者は言う。それはそういう時代であったからで、否定すべき必然性はない、と。むしろ成果主義、年棒制も既に否定された時代があったことを、その上で年功制が成立していったことを。

その論拠を非常にシンプルに。年功制にあった成果主義にないもの、それは「未来の重さ。」人はなぜ働くか。一度マルクスが解き明かしたはずの命題を、日本のサラリーマンにとってどうであったかを筆者は解き明かす。人は現在の否定よりも、未来の否定の方がつらいのだと。未来の重さを確認できる年功制は、それだけでモチベーションをもたらしていた。人は報酬のみで働くものではあらず、年功制の賃金は人生のライフプランから逆算された必要経費であり、モチベーションとは関係なく与えられている。では年功制のモチベーションとは何か。それは次の仕事である。仕事の成功は次の仕事の拡大と難易度の上昇をもたらす。そこに立ち向かう事が大きなモチベーションなのである。

前向きである。意地悪な言葉で言えば、性善説にたちすぎているきらいは拭いきれない。しかし筆者の言葉は、中途半端な経営理論に寄りかかる学者やコンサルタントの論拠を喝破する迫力と気概に満ちている。もちろん理論的バックボーンも怠りない。ちなみに筆者は東大教授である。岩井克人氏といい、やはり東大はなかなか骨のある学者を輩出する風土が残っているようである。

2007年2月 6日 (火)

外交敗北―日朝首脳会談の真実/重村智計 ~勝者は誰か~

我々は通常信じている。外交の場で成されていることは正しいと。報道されるものが全てであると。議員や官僚たちは国のため最善を尽くしていると。それはいずれや我々の生活に還元される日が来るであろうと。

否。外交の表も裏も知り尽くした筆者は述べる。外交は国のためではなく、国民のためのものであるべきであるが、その理想に追いつかない現実があると。その差を埋めるための欺瞞と虚構の内実を強く語る。

敗北というからには勝者がいる。あの日本中が湧いたかの国への電撃訪問時、我々の国はどうであったのか、かの国はどちらであったのか。さらに以前、我々が選んだはずの人たちが行ったあまりにも情けない振る舞い、外交とも呼べないお願い、依頼の数々。

当たり前のことであるが、外交とは交渉である。ネゴシエーション。政治の世界の中では、外交がもっともビジネスと近い方法論で動いている。勝者があり敗者もいる。時にそれは入れ替わる。

交渉で重要なのは何か。ひとつは交渉の継続性であり、それが信用を生む。馴合いを避けながらも、重ねた信用に勝る価値は少ない。そう考えると窓口は一つにしぼるべき、複数のチャンネルが混乱を生じる可能性に気づく。議員外交という言葉がありえないことを知る。そしてはげしく憤り、憂う。その積み重ねで膨大な時間と運命を失った人たちがいることを。

2007年1月21日 (日)

プリンシプルのない日本/白州次郎 ~変わらない原則~

原理・原則。数十年前と今で変わるか。時代は変わる。しかしその根幹は何か。人の営みで重要視すべきは何か。政治・経済・法律・産業。すべては人の生活のうえに根ざしている。全ては人の生活の土台となるべきであり、人の暮らしをより便利に、より快適に、より人間らしい暮らしを営むことができるように、人に奉仕するべきものである。

ところがどうだ。政治は偉い。経済はすべてに優先する。法律のせいで認められない暮らしがある。産業発展のために犠牲となる個人の生活。

本書は「育ちのいい野蛮人」と呼ばれた白州次郎氏の主として政治、経済、生活に関する評論集である。その文章、個人名や固有名詞を現在のものに置き換えたらすぐさま最新の雑誌に載せれるがごとく、文章は本質をついている。別の観点から見れば、彼の指摘から数十年、世界はまったく進歩していないということか。

いずれにしても根底に流れるのは、彼の日本という国を憂う心、友人に対する深い愛情、彼の人間に対する強い信頼。だからこそその信頼感をゆるがす政治、行政、官僚、マスコミの不作為にもちあがる大きな怒り。特に外交面に関するセンシティブな論評は、われわれが普段眼にしている新聞等での社説がいかに日和見で表層的なものかを教えてくれる。

数十年後、この書を読んで、この論評が古いものに感じられる日がくることを祈りたい。

2007年1月13日 (土)

もう牛を食べても安心か/福岡伸一 ~動的平衡系 すべてのものはつながっている~

私たちは食べる。食物を食べる。何のために?食物は快楽である。食物は栄養であり、消化され、吸収され、エネルギーとなる。私たちの身体は食物を燃やす内燃機関である。

筆者は語る。そうではないと。食物は情報である。分子である、と。そして私たちの身体も分子である。食物と身体の分子も高速で入れ替っている。数日間のうちに入れ替る身体は安定した物質ではなく、むしろ流れの「淀み」であり、緩やかな「結び目」なのである。身体は動的な平衡状態にある。

それが狂牛病とどうつながるか。狂牛病は人災である。自然界に存在しなかった牛の病気が人間の「牧畜」という営みにより蔓延した。そこには生命のサイクルを最大限に効率化しようとする試みがあった。ところが自然には大きな外的負荷を時間をかけて平衡化しようとする習性がある。だが時間がないとどうなるか。遺伝子組み換え、クローン食物。環境問題の多くもこの時間の欠如、動的不平衡に起因する。平衡状態をつき崩す急激な変化。

成分表には現れない時間という概念、歴史という背景。流れの欠如より顕在化する問題点の数々。私たちに見えているものはまだまだ少ない。

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