2007年3月 1日 (木)

虚妄の成果主義/高橋伸夫 ~未来の重さ~

シンプルである。なぜ年功制がよいのか、なぜ成果主義は失敗するのか。筆者は自らの研究事例を題材にしながら、シンプルな論理でまとめあげていく。

この議論は軸足をどこに置くかで見える風景が変わってくる。年功制と成果主義。互いに相容れないこの二項。主軸とすべきは経営の問題か、労働の問題か。あるいはモチベーションの問題か、ライフプランの問題か。人事の問題か、組合の問題か。ジャパネスクとグローバリズムの問題か。

確かにここ数年成果主義の問題が出尽くした感がある。しかし年功制もシステムとして一度否定された時代があった。ところが筆者は言う。それはそういう時代であったからで、否定すべき必然性はない、と。むしろ成果主義、年棒制も既に否定された時代があったことを、その上で年功制が成立していったことを。

その論拠を非常にシンプルに。年功制にあった成果主義にないもの、それは「未来の重さ。」人はなぜ働くか。一度マルクスが解き明かしたはずの命題を、日本のサラリーマンにとってどうであったかを筆者は解き明かす。人は現在の否定よりも、未来の否定の方がつらいのだと。未来の重さを確認できる年功制は、それだけでモチベーションをもたらしていた。人は報酬のみで働くものではあらず、年功制の賃金は人生のライフプランから逆算された必要経費であり、モチベーションとは関係なく与えられている。では年功制のモチベーションとは何か。それは次の仕事である。仕事の成功は次の仕事の拡大と難易度の上昇をもたらす。そこに立ち向かう事が大きなモチベーションなのである。

前向きである。意地悪な言葉で言えば、性善説にたちすぎているきらいは拭いきれない。しかし筆者の言葉は、中途半端な経営理論に寄りかかる学者やコンサルタントの論拠を喝破する迫力と気概に満ちている。もちろん理論的バックボーンも怠りない。ちなみに筆者は東大教授である。岩井克人氏といい、やはり東大はなかなか骨のある学者を輩出する風土が残っているようである。

2006年5月13日 (土)

スロー快楽主義宣言!/辻信一 ~信じてもよいですか~

辻様

あなたを信じてよいのですか。

わたしは自分を信じたい。その自分の中にあなたの「スロー」というキーワードは根付いてしまった。僕らはもう何もいらない。ほとんどのものは手に入る。時間以外は手に入る。

手に入れたいモノはおそらくない。手に入れたい時間はたくさんある。そのことに気づいている人はかなりいる。あきらめている人がほとんどだ。皆きっとわかっている。あなたに言われなくてもわかっている。

だからこそ時間を手に入れた人達に多く出会い、ぼくらに伝えるあなたの思いはぼくらにはきつい。きつさとどう付き合うか。その判断が、ひとつの決断に変わるときが来るのか。ぼくらは問われている。

あなたを信じてみるか。

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