2006年10月28日 (土)

マグネット/山田詠美 ~罪がないのに与えられる罰~

短編集。語られるのは恋愛。記憶。少女。死。兄弟。女性。痴。暴力。

恋は作者の重要なモチーフ。だが恋だけではない。だから読み手と読む状況を選ばない。

十代の少女なら「熱いジャズの焼き菓子」を、三十代の男性なら「解凍」を、二十代のの女性なら「マグネット」を。淋しい夜には「YO-YO」を、眠れぬ夜には「LIPS」を、電車の中では「アイロン」を、海外旅行では「COX」を、笑いたいときには「瞳の致死量」を、そして家族を想うときには「最後の資料」を。

まとめて読むととらえにくいのは確か。しかし底辺に流れる彼女の言葉は続いている。一つの小説を読み終え、次の小説を読む。ストーリーは分断されている。しかし言葉はつながっている。読み終えて流れてくるのは何か。

「罪」と「罰」。

犯した罪があれば罰がある。罰は社会的なものだけでなく個人の心象の中にも現れる。それは狂った美しさを生み、滑稽な営みをつくりだす。

時に罪がないのに与えられる罰もある。それが病であり死であったとき、身近な人にその状況が生じたとき。痛切な想いと空白の時間。

作者への距離感が近くなる。なぜなら彼女は身を切り取って提示している。どこにでも誰にで起こりうる悲しみと、悲しみの中のやさしくも強い言葉を。

2006年10月 1日 (日)

養老孟司の「逆さメガネ」/養老孟司 ~問題意識・問題は意識~

本当の自分はそこにある。子供は自然である。情報は変わらない。自分は常に変わる。変わることが当たり前。忘れていないか。

当たり前のことが忘れられる。忘れるのは意識がそう強いている。養老先生はかく語る。彼の語りはこの書ではかなり平易。だからわかりやすい。わかりやすすぎて速く読み進んでしまうのが難点か。少し引っ掛かりがあるほうが立ち止まって考えやすい。読者の我侭を言えば。

この書は養老先生の教育論か都市論か。論より現実。現実を論に置き換えるのは意識のしわざ。理屈にあわないものは五万とあった。しかしあわない理屈は理屈でなく、そんなものはないものとしたい。そう意識は言っている。エポケー。判断停止。

考えろ。しかし考えるな。意識と無意識。どちらも人である。人はシステムである。システムはああなればこうならない。養老先生はそう言っているではないか。彼は哲学者であると思う。考え抜いているという意味で。

2006年5月13日 (土)

第三の時効/横山秀夫 ~上手すぎる~

あまりにも上手すぎる。

謎解き。人間。縮図。

主人公は一人ではない。組織でもない。一人一人があまりにも魅力的に描かれ、ストーリーは読み手の心をつかんで離さず、ページをめくる手の動きは止まらない。

警察小説とは何だ?と読みはじめる前は思うが、読み終えるとそこにあるのは警察という世界に生きる、生かされる男たちの生き様。

しかしやはり最大の魅力はそのミステリーとしての完成度。長すぎず短すぎない各編のラストは、一冊の本を読み終えたときに各編の数だけ唸り声をあげさせる。

「半落ち」では落ちなかった僕がこの本では落ちた。

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