2008年6月10日 (火)

生物と無生物のあいだ/福岡伸一 ~科学の表現とそれ以外の表現~

美しい読物です。

生物という美しい事象を扱いながら、科学の厳密性ゆえにあまりにも即物的な形態をとる書物(いわゆる教科書ですね)が多い中、この作者は科学的な厳密性を下敷きにしつつも、生物学の歴史(特にいままで現代的ゆえに多く語られることのなかった分子生物学史)を縦軸に通し、ふんだんな周辺の事象(NY・ボストン都市考察等)を横糸に散りばめ、学問の最先端を紹介しながらページは進んでいく。

読者は生物学の知識が極めて乏しくとも(0とは言わない)、作者の豊富な隠喩や教科書的解説により、決して科学的真実からは離れないよう距離感を定められている。

しかしながら、この本の魅力をなすのはあくまでも作者の文学的資質であるのではないか。

上記の美しい科学を、決して平易ではない言葉を用いながら、わかりやすく、なおかつ美しく表現できる作家を私は他に思いつかない。

分子生物学の名著はドーキンスの「利己的な遺伝子」をはじめ多々ある。

ただそれらの著書は、正直一般的な視点から見ると、結論にいたる道程が長すぎる。言いかえれば難しく語りすぎている。(科学的な厳密性を追及すればそうなるのはわかります。)かといって竹内久美子(「そんなバカな!」)までいくと単なるエピソード集で終わってしまう。

この本はドーキンスのその前後を知りたく、竹内久美子に満足できない、分子生物学(あるいは遺伝学)に興味をお持ちの方にお勧めです。(もちろん、普通のノンフィクション好きの方にもお勧めです。)

51oeidl3hxl

生物と無生物のあいだ

2007年1月29日 (月)

そして夜は甦る/原りょう ~ハード~

好みが別れるであろうその文体。翻訳風だがハードボイルドファンにはたまらないはず。主人公はあくまでクール。現在は小説でも映画でもある種のキュートさやコミカルさが受ける必須の要素だが、おそらく決して笑わず、ジョークは常にシニカルな主人公には無縁の要素。となるとこれも好みの別れるところか。

ところが推理小説としては出色のプロット。二転三転するラストの展開はカーチェイスのような興奮、恍惚感を促してくれる。文体や主人公に慣れなくても、ストーリーに潜む謎の複雑さを解きほぐしていくうちに、この小説から離れがたくなっていく。

よくよく読んでみると唸らせる台詞も多いのに気づく。スリリングな展開とともに、夜一人で酒を傾けながら酔いたい小説である。

2007年1月13日 (土)

もう牛を食べても安心か/福岡伸一 ~動的平衡系 すべてのものはつながっている~

私たちは食べる。食物を食べる。何のために?食物は快楽である。食物は栄養であり、消化され、吸収され、エネルギーとなる。私たちの身体は食物を燃やす内燃機関である。

筆者は語る。そうではないと。食物は情報である。分子である、と。そして私たちの身体も分子である。食物と身体の分子も高速で入れ替っている。数日間のうちに入れ替る身体は安定した物質ではなく、むしろ流れの「淀み」であり、緩やかな「結び目」なのである。身体は動的な平衡状態にある。

それが狂牛病とどうつながるか。狂牛病は人災である。自然界に存在しなかった牛の病気が人間の「牧畜」という営みにより蔓延した。そこには生命のサイクルを最大限に効率化しようとする試みがあった。ところが自然には大きな外的負荷を時間をかけて平衡化しようとする習性がある。だが時間がないとどうなるか。遺伝子組み換え、クローン食物。環境問題の多くもこの時間の欠如、動的不平衡に起因する。平衡状態をつき崩す急激な変化。

成分表には現れない時間という概念、歴史という背景。流れの欠如より顕在化する問題点の数々。私たちに見えているものはまだまだ少ない。

2006年10月21日 (土)

噂/萩原浩 ~最後の一行なくてよし~

最後の一行がすごい!という触れ込みで最後の一行まで読む。結論としては最後の一行なくてよし。その一行を書くために中盤での構成、伏線、人物描写、すべて甘い。特に犯人の内面、異常性については書き込み不足で結末が唐突。主要な登場人物に対する興味や愛着が湧きにくい。

ここまで書くのは、最後の一行を読んで最悪の読後感になってしまったから。最後の一章読まなきゃ良かった。少なくとも貫井氏の愚行録と続けて読む本ではなし。(深く自戒)

2006年9月 9日 (土)

MOMENT/本多孝好 ~設定の違和感~

僕たちが生きている世界あるいは世界観との微妙なずれ、そのずれぐあいがうまく読者の心の窪みにはまると、この作家の魅力を感じるのかもしれない。その意味からは短編が彼のお薦め。長編ではまらないと長時間つらくなる。

この短編集なら3話目が僕の窪みとはまる。人により2話目、1話目、4話目となろう。だから僕は1話目や2話目の主人公には共感しないし、4話目の展開にはまったくリアリティを感じない。

設定の違和感、ずれぐあいを多くの人にあわせられるか、しかしあわせすぎたらずれではない、ずれがなければ本当に凡庸な単に文体がおしゃれなライターとなる。危うい。思うに「真夜中の五分前」は少し女性にあわせすぎたか。すぎ、ではなく狙いとおりか。ならば僕が読んだのが間違いか。

2006年9月 4日 (月)

真夜中の五分前/本多孝好 ~どこまで本気になればよいか~

うまい、読ませる。しかし、ぐうぅぅぅ。

この辺りは共感する人はいないか。村上春樹の表面をすくいとって恋愛小説にしたてあげていないか。

そんな意図はないとは思う。前半はたしかに読ませる。だが軽い。主人公があまりにも軽い。少し夢物語的なストーリー展開は誰向けか。アキバ系少年か、アート系女子学生か。

ひどいことを書きすぎか。悪くはない。文章のセンスよく、最後まで読ませる。ずっとそう書いているではないか。

しかし前半だけで終わっていればこの小説は本当に悪くない形で終わっていた。双子だからといってそんなに難しく人生を過ごす必要はない。女性の主人公の描写が男好みに書けているだけに、普通にハッピーエンドに終わらせておけばよい。それがみんなの幸せ。これが感想。

あの日にドライブ/荻原浩 ~困惑~

困ったな。というのが正直な感想。

よく出来ていて、手の込んだ小説だ。リズムもよく、一気に読み通せる。オチもついているし、リアリティーもある。この作家の常らしく、テーマもわかりやすい。

しかし主人公と同世代の僕としては、あまりにもどこへも飛ばない、想像にあけくれる主人公というのは、本当にいそうで、本当はいない。きっと昔の彼女が離婚して寂しそうなら、もっと下心丸見えで声をかけるだろう。社会的なリストラ戦士に引っ張られているのかもしれないが、そもそも普通は宛先なしに銀行なんてやめやしない。資格にしても会計士なんて高望みしすぎ、めったにうからないよ。

そして何より、子供がかわいいのは当たり前、つれ沿った奥さんが居心地よいのは当たり前。でも子供を捨てざるを得ない人はたくさんいるし、別れざるをえない人はやっぱりいる。作家にはその辺りを書いて欲しいと思うし読者としてはそこを求める。

まあそのような小説というのは読んでみると何だかなという小説が多く、そのような駄作に比べると本書は非常に面白かったりするのだが。

2006年5月13日 (土)

魂の昭和史/福田和也 ~解釈のみが存在する~

事実は存在しない。ただ解釈のみが存在する。

作者は自らの解釈での歴史観を平易な言葉で語りかける。しかし平易であることとわかりやすくあることは等しくなく、作者の解釈が「想い」としてしか伝わらない箇所もある。だからこそ「魂の」昭和史なのか。

政治のシステム、経済のシステム、文化のシステム。時代は様々なシステムが重なり合い、時には政治が、時には経済が、時には文化が時代を表現する。その蓄積が歴史となるが、後からその蓄積を紐解くのは決して簡単なことではなく、紐解き方により人の数だけ解釈が異なり、人の数だけ異なる歴史観が成立する。

だからこそ私たちは、わたしの解釈を持たねばならない。そして他人は他人の解釈を持つ。わたしとあなたの歴史は異なるのだ。

そのことに気づかせてくれるという意味で、とても大切な歴史の入門書に成り得る本である。

最近のトラックバック

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ