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2007年1月29日 (月)

そして夜は甦る/原りょう ~ハード~

好みが別れるであろうその文体。翻訳風だがハードボイルドファンにはたまらないはず。主人公はあくまでクール。現在は小説でも映画でもある種のキュートさやコミカルさが受ける必須の要素だが、おそらく決して笑わず、ジョークは常にシニカルな主人公には無縁の要素。となるとこれも好みの別れるところか。

ところが推理小説としては出色のプロット。二転三転するラストの展開はカーチェイスのような興奮、恍惚感を促してくれる。文体や主人公に慣れなくても、ストーリーに潜む謎の複雑さを解きほぐしていくうちに、この小説から離れがたくなっていく。

よくよく読んでみると唸らせる台詞も多いのに気づく。スリリングな展開とともに、夜一人で酒を傾けながら酔いたい小説である。

2007年1月26日 (金)

ぼんくら/宮部みゆき ~時代の空気を描く天才~

歴史がある。時代というものは確かにそこにある。

私たちの生きている時代。そして私たちの祖父母やもっと前の顔も知らない祖先が生きていた時代。日本は日本であった。日本人も日本人であった。しかし東京は江戸であった。

私たちは忘れてはいないか。人情という言葉。人の情けに触れたときの感情。身の回りに困っている人がいれば、行く先のない子供がいれば、心配するのが筋ではないか。眼をかけ手を差し伸べるのが筋ではないか。筋を言う言葉をもう使わないか。責任問題になるからやってられないか。

作者の時代小説に対する共感はここにある。勧善懲悪ではない。報われない人もいる。主題はそこにあるのかもしれないが、主題を描く環境に現れる人間模様の豊かなこと。殺伐とせず、ゆっくりと進んでいく時間の豊かなこと。

登場人物たちの行く末がとても気になる。もう一度彼らに会いたい、彼らの時代に生きて時間をともに過ごしたい、という気持ちが高まる一冊である。

2007年1月21日 (日)

プリンシプルのない日本/白州次郎 ~変わらない原則~

原理・原則。数十年前と今で変わるか。時代は変わる。しかしその根幹は何か。人の営みで重要視すべきは何か。政治・経済・法律・産業。すべては人の生活のうえに根ざしている。全ては人の生活の土台となるべきであり、人の暮らしをより便利に、より快適に、より人間らしい暮らしを営むことができるように、人に奉仕するべきものである。

ところがどうだ。政治は偉い。経済はすべてに優先する。法律のせいで認められない暮らしがある。産業発展のために犠牲となる個人の生活。

本書は「育ちのいい野蛮人」と呼ばれた白州次郎氏の主として政治、経済、生活に関する評論集である。その文章、個人名や固有名詞を現在のものに置き換えたらすぐさま最新の雑誌に載せれるがごとく、文章は本質をついている。別の観点から見れば、彼の指摘から数十年、世界はまったく進歩していないということか。

いずれにしても根底に流れるのは、彼の日本という国を憂う心、友人に対する深い愛情、彼の人間に対する強い信頼。だからこそその信頼感をゆるがす政治、行政、官僚、マスコミの不作為にもちあがる大きな怒り。特に外交面に関するセンシティブな論評は、われわれが普段眼にしている新聞等での社説がいかに日和見で表層的なものかを教えてくれる。

数十年後、この書を読んで、この論評が古いものに感じられる日がくることを祈りたい。

2007年1月14日 (日)

縮んだ愛/佐川光晴 ~諦念~

教師。聖職者。障害児学級。妻一人子一人の五十男が語る諦念。人は聖なるものか。障害を抱えて生きることの困難。夫婦のずれていく思い。親子の不信と回復。

適度にリアルな登場人物たち。そこにおとづれる不条理な事故。その不条理に向かいあうとき、妻のとる思いもかけない行動。止めることのできない、いや諦める夫。ただあるものを受け入れていく。諦念。不作為。

最後のどんでん返し。真実は語られない。夫のへの共感は慎むべきか。しかし不作為と見守ることは紙一重ではないか。教師とは、夫とは、父とは何か。諦念に対する罪を背負い、主人公は語り終える。

2007年1月13日 (土)

もう牛を食べても安心か/福岡伸一 ~動的平衡系 すべてのものはつながっている~

私たちは食べる。食物を食べる。何のために?食物は快楽である。食物は栄養であり、消化され、吸収され、エネルギーとなる。私たちの身体は食物を燃やす内燃機関である。

筆者は語る。そうではないと。食物は情報である。分子である、と。そして私たちの身体も分子である。食物と身体の分子も高速で入れ替っている。数日間のうちに入れ替る身体は安定した物質ではなく、むしろ流れの「淀み」であり、緩やかな「結び目」なのである。身体は動的な平衡状態にある。

それが狂牛病とどうつながるか。狂牛病は人災である。自然界に存在しなかった牛の病気が人間の「牧畜」という営みにより蔓延した。そこには生命のサイクルを最大限に効率化しようとする試みがあった。ところが自然には大きな外的負荷を時間をかけて平衡化しようとする習性がある。だが時間がないとどうなるか。遺伝子組み換え、クローン食物。環境問題の多くもこの時間の欠如、動的不平衡に起因する。平衡状態をつき崩す急激な変化。

成分表には現れない時間という概念、歴史という背景。流れの欠如より顕在化する問題点の数々。私たちに見えているものはまだまだ少ない。

2007年1月 8日 (月)

クラインの壺/岡嶋二人 ~明確な構成とストーリー~

面白い。久々に戯言や解説抜きで没頭できる小説を読んだ。

現実と空想。リアルと虚構。パラレルワールド。ミステリーのようなSF。SFのようなミステリー。

主人公は新進ゲーム作家。出来上がった作品をとあるゲーム会社が買い取るところから話ははじまる。現れるヴァーチャルリアリティの世界。主人公は美少女とともにヴァーチャルの世界に没頭する。そして消えた美少女。突然消えた彼女を探して、主人公はヴァーチャルの謎に迫っていく。やがて訪れるリアルとヴァーチャルの境界線の崩壊。崩壊した垣根を前に主人公は最後の賭けに出る。リアルな自分を呼び戻すために。

この作家、「99%の誘拐」もそうだが、使われるモチーフがPCやゲームなど一見時代性が高いもののため小説が古びそうなところだが、今読んでも全く古さを感じない。技術に対する深い視座と本質を描く能力、またストーリーの中に組み込むセンスのよさで現在に対するクリティカルな力を保持している。時がたてばたつほど、評価が上がる作品になりうる。

2007年1月 6日 (土)

銀色の翼(青いけむり)/佐川光晴 ~哀~

本書は「銀色の翼」と「青いけむり」からなる。後者に関して。

男が語る。自らの経歴について。大学を出て、働き、結婚する。子供ができる。仕事を辞める。子育て。悲しみ。妻との関係の変化。炭をつくりはじめる。妻の再度の妊娠。子育て。一度の過ちとその代償のように失われた男の身体。妻との関係の再生。

何が悪いのか。嘆くしかない。憂うしかない。うらむことすらできない。客観的に見たらかなり男の語る内容は不幸である。漂う哀愁。暗くはなく淡々と語る彼。

得たものが多ければ失われたものも多い。人は得ることのみを欲して生き抜こうとする。しかし失われるものも必ずある。その多少に違いはあれ、得ることのみで成り立つものはない。男の人生は続いていく。

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