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2006年11月25日 (土)

学校崩壊/河上亮一 ~正しいのは何か~

昨今の問題。いじめ。自殺。履修漏れ。教育の問題。

誰が悪いか。教師。校長。学校。教育委員会。文科省。

筆者は述べる。悪いのは「社会」です。「社会」とは何か。われわれである。私でありあなたである。親であり教師であり地域である。子供であり生徒である。

それはなぜか。教師は人間である。生徒も人間である。人間だから学校以外で何してすごす。生徒が学校ですごす時間はせいぜい数時間/日。休みを均せばもっと減る。年間の授業時間数より、テレビを見ている時間の方が多い。こども一人には親が通常二人いる。そんな中で一人の教師が四十人の生徒に何ができる。

教師の責任逃れの言い訳か。負け犬の遠吠えか。真実はどこにあるのか。個性・自由・独立。すばらしく実現したいキーワード。義務・強制・権力。教師がほしがるキーワード。

時代は振れる。管理から自由へ。自由から監視へ。体罰からゆとりへ。ゆとりから排除へ。着地点はどこになるのか。バランスを見ながらおそらく着地する。時代時代で異なるのは当たり前。自分が通過する期間はどちらに時代は振れていたか。自分の子供が過ごす期間ではどうなのか。気になるのはもっぱらその点である。

おそらく正解はない。解決策は百の問題に大して百通り。しかし大切なのは百の解答があると知ること。おそろしく厳しい答えもあればやさしい対処もあるはず。だから教師だけでもなく当然文科省だけでもない。われわれすべてが、負っている責任があるということが、この本を読むとよくわかる。

2006年11月24日 (金)

世界の終わり、あるいは始まり/歌野晶午 ~仕掛けとストーリーのバランス~

古くはアガサ・クリスティ。最近では貫井得郎。仕掛けと構成で読ませる小説。

仕掛けという手法には大きな魅力があり、ミステリーの場合その一点のみで成立する小説も多い。しかし仕掛けがもたらすのは最後の驚愕のみ。そこに至るまでに求められるのはストーリー・文体などあわせた筆力。流れがつたなければ仕掛けに対する要求も高くなり、レベルが低ければ読後感は非常に悪くなる。

この小説では仕掛けは途中で明らかになる。したがって構成的には先が読める。最後でより大きな仕掛けにいたるのか、あるいはストーリーとしてオチをつけるのか。テーマとしても社会派的な要素が見え隠れするようになり、さらに大きなオチが必要となる。読みすすむにつれて大きくなる期待。

結果の判断は読まれた方により異なるか。私の判断は否。扱う範囲をやりたい部分で拡げすぎたか。収拾がつかない中で結果があまりにもまっとうなのはマイナス材料。無理に集約する必要はない。拡げに拡げて逆に収拾がつかなくなる。そんな方法もあったのではないか。

2006年11月20日 (月)

夏のロケット/川端裕人 ~大人の力と少年の想い~

登場人物が絶妙。それだけで引っ張られてしまう。天才的なひらめきと頭脳でロケットを設計する彼、少しニヒルにかまえながらも職人的なしつこさと高度な技術で実際にロケットをつくりあげていく彼、世渡りのうまさと人当たりのよさと人脈でプロジェクトののマネジメントをする彼、超売れっ子ミュージシャンでありながら宇宙に対する憧れを失わない彼、そして彼らの仲間から外されかけながらも彼らからは最後には必要とされる語り部の彼。そして彼らの魅力に取り付かれバックアップしていく彼女。

悪役が登場しないのも特徴か。悪役が強調されればよりハリウッド的になるところ。作者はあくまで彼らの物語として完結する。ミステリーでもない。謎はなく、あっても簡単に解決される。高校生であった彼らが、大人になり、大人の力を得た時にふと気づく。

「あれってできるんじゃない?」

きっとできる。だってそう思ってた。金とほんの少しの経験と、夢を共有できる人のつながりと知識があればね。だからできた。彼らにはできた。読後感爽やかなサクセスストーリー。

最後まで読み終えたあと、最初の数ページを読み返してみる。すこしできすぎた伏線。でもこういうの結構悪くない。

2006年11月18日 (土)

センセイの鞄/川上弘美 ~寒い日のあたたかい部屋で~

元センセイと元教え子のツキコさんの恋。

センセイは背筋が伸びていて、言葉遣いがていねいです。歌をたしなみます。手酌が好きです。お酌が上手なのです。奥さんがいましたが出奔しました。国語の先生でした。いつも鞄を持っています。山登りにも持って行きます。

ツキコさんはどちらかというと控えめな方でしょうか。マイペースです。お酒はけっこういけます。恋をしたことも何度もあります。でも独身です。仕事をしています。

居酒屋のサトルさんの店で二人の恋はすすみます。お酒を飲みます。食事をします。やがてサトルさんに誘われきのこ狩りにいきます。花見にもいきます。すこしづつふれあう時間が長くなります。

恋はいくつになってもはがゆいものなのでしょうか。すくなくともこの二人はとてもはがゆいです。センセイにライバルが現れてイライラしたり、しばらく会わない時期が続いたり、でもやっぱり。好意をいだいてくれる同級生に誘われたり、センセイの奥さんに嫉妬したり、でもやっぱり。そのせつなさやうれしさが、ゆるやかな文章によりゆるやかに伝わってきます。

そして時はいつでも残酷です。センセイは常に年上です。ツキコさんも歳をとってきましたがセンセイはもっと歳をとりました。だからセンセイは先にいきました。ツキコさんが行くのはもっとあとでしょうか。でもセンセイの鞄があります。いっしょにすごした時間があります。時間を鞄の中に入れておけば、きっといつでも会えると思うのです。

とてもシンプルなお話です。あらすじにすれば数行でおわり。たいした事件は起きないけれど、たいした山場はないけれど、ゆっくりと、ひとりで、寒い日に部屋の中であたたまりながら、読みたい小説です。

2006年11月13日 (月)

隠蔽捜査/今野敏 ~原理原則と人間と~

警察小説。ミステリーというフィールドに、出世、人事という人間臭いファクターを加味し、国・都市・官僚というシステムゆえの妙味を加えた一ジャンル。きわめて日本的な世界。

その世界の中でいかに人間を表現できるか。その世界だからこそいかに人間が浮かびあがってくるか。作者のこころみは半分成功。半分未了。

おそらくは主人公が強すぎること。要領がよすぎること。原理原則にしたがいすぎること。作者は誰もが納得するエンディングのために、スケープゴートを仕立て、主人公は苦悩ののち正義の味方となる。人間臭くない主人公こそ、人間として正しい道を歩む。それはそれで正しい。ただ大団円になる必要はなかったか。

僕たちは大団円からほころびる部分にリアリティを感じないか。より人間臭くないか。誰もが主人公のように原理原則にしたがうことはできる。ただ原理原則を持っていればね。原理原則をもっていないのが大多数のぼくたち。官僚でないから当然といえばそれまでなのだけれども。

ナラタージュ/島本理生 ~瑞々しさと鮮烈さ~

立っている場所によってまったく見方が異なるもの。

僕が先生の立場だったら。僕が小野君の立場だったら。

わたしが親友の立場だったら。わたしが自殺した少女の立場だったら。わたしがわたしの立場だったら。

恋愛のまっただなかにいるときは気づかないかもしれない。気づいても認められないかもしれない。でも忘れられない感触。忘れられない瑞々しい言葉の記憶。こころというものがあるのなら、作者の文章はそのこころのひだをひとつひとつほぐしていく。もう忘れていたはずの心象風景を蘇らせていく。

誰にでもある、あったはずの恋愛。人を強く傷つける。この小説の中では誰もしあわせになっていない。悲しいけれどさびしいけれど、それが鮮烈なリアル。

2006年11月 9日 (木)

7つの習慣/スティーブン・R. コヴィー ~覚書~

覚え書きとして。①主体性を発揮する。②目的を持って始める。③重要事項を優先する。④Win-Winを考える。⑤理解してから理解される。⑥相乗効果を発揮する。⑦刃を研ぐ。

ビタミンF/重松清 ~「お話」の力~

少しずつもらいました。力と勇気とせつなさを。痛みと苦しさと喜びを。想い出と間違いとまっすぐな気持ちを。がんばりと本音の気持ちと愛情を。

筆者はあとがきで述べます。「お話」の力を信じること。書き手として信じ続けること。

読者も応えたい。読み手として信じること。信じ続けること。何を?この本を読んでもらったもの全てを。

振り返ればそこにいる家族。そんなに悪くない家族。ぐれてない。いじめられていない。浮気もしない。多少は色々あるけど、娘はお風呂に入ってくれないけど、息子は大学入試に失敗したけど、そんなに大きな、深い問題は抱えていないはずの家族。

けど問題の大きさ、深さは相対評価ではなく絶対評価。少女にとっての問題はつねに大きく、パパにとっての子供の問題はつねに深い。その大きさ、深さをまっすぐ見つめる。一歩まえに進む。大人には色々ある。子供にも色々ある。色々あるものに向き合って、少しでも前に進もう。少しでも家族を信じよう。そんな気持ちにさせてくれる、「お話」の力。

2006年11月 2日 (木)

古道具 中野商店/川上弘美 ~そうは見えないけど幸福~

言葉で空気を作り出せる。言葉で人をつむぎだせる。小説家の真骨頂。

主人公はどんな女性だろう。いそうでいなくて、いなさそうでいる。まじめでアートで。明るすぎず暗すぎず、ちゃんと人と話ができて、仕事もこつこつして、同世代よりも年上の人となぜか話があって、携帯は使いすぎないけどきちんと使えて、PC(ピーシー)もできるけど古道具屋ではたらいている。

そんな彼女が好きになる彼はどんな男性だろう。すこしなまり(?)か口調が変わってて、コツコツ地味な仕事をいとわなくて、絵がむちゃくちゃうまくて、あれは得意ではなくて、不器用で、冷たいところもあって、いつのまにか仕入れの仕事はまかされてて、将来いつのまにかウェブデザイナーになってるけど、いまは古道具屋ではたらいている。

そんな古道具屋ではたらく主人はどんな人だろう。結婚を3回しているけど愛人もいて、彼女のことが好きだけどなぜかあいそをつかされて、店をたたむけどやっぱ古道具が好きで、でもまわりからはそんな風にみえなくて、店を再開するとけっこう人が来て、なんか周りからはあいそつかされてない。

主人の姉も古道具屋ではたらいていて、彼氏がいるけど不倫で、でもすごい彼が好きで、好きとセックスについて考えていて、芸術家(?)で、恋愛については一言持ってて、おそらく一緒にいたら慣れるのには時間かかるけど悪い人じゃない。

そんな人たちのお話です。一気に読めるわけじゃないけれど、少しずつ中野商店に慣れていくと離れるのが残念になります。何回も読み返したいわけじゃないけれど、いつかまた読んでみたい。

そんな、小さな佳品です。

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